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東京高等裁判所 昭和40年(行コ)5号 判決 1967年2月23日

控訴人(原告) 島田武

被控訴人(被告) 埼玉県公安委員会

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人に対し昭和三九年一月八日付でなした控訴人の大型自動車第二種運転免許証の有効期間更新申請を却下した処分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、左に付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

(控訴人の主張)

一  文部省科学研究費総合研究視力研究班は昭和三九年に視力検査基準を決定し、昭和四〇年一一月一二日に日本眼科学会評議員会においてこれが正式に採用された。この基準の内容は、視力検査器具の基準と視力検査実施の基準の二つに分れるが、鴻巣警察署で行なわれた本件視力検査を右検査基準に照らして検討するに、

(1)  右検査基準は視力検査器具をその使用目的に応じて標準視力検査装置、准標準視力検査装置、特殊視力検査装置の三つに分類し、視力の値の正確さを特に期したいという場合には標準視力検査装置を用いるべきものとなし、その規格として、同一段階の視標数は同列五個以上であることを規定し、さらに使用するランドルト環視標の寸法誤差の許容範囲なども定めている。自動車運転免許およびその更新の際に行なわれる視力検査は、その目的に照らしとりわけ視力の値の正確さを要求するものであり、したがつてこれは前記標準視力検査装置による検査でなければならない。ところが控訴人に対する本件視力検査に使用されたKYS式視力検査器はランドルト環視標を一つ一つ露呈する単一視標装置であつて、前記基準の分類によれば特殊視力検査装置に属するものである。また右KYS式視力検査器の視標はランドルト環を写真に撮影しこれを合成樹脂板に焼付けたものであるが、実験例によると、市販の検査器具のランドルト環視標は、ガラス板に作製したものを除き一般にかなりの寸法誤差があつて、前記基準の規格に適合していないのであり、本件視力検査に用いられたKYS式視力検査器の精度には疑問がある。

(2)  前記検査基準は検査実施の方法に関し、検査室の照明は五〇ルツクス以上で視標照度を上廻らない照度とし、被検眼の視野内に光源や明るい窓のないのが望ましいこと、検査室に被検者を入れ二分間以上経過してから検査を開始すること(明順応)などを基準として定めている。しかるに鴻巣警察署における控訴人に対する室内での視力検査は、検査器の背後に大きな窓が覆いのないままにある状態で行なわれたものであり、検査官が室内の照度を測定しあるいはこれにつき配慮した形跡もなく、また明順応も全く考慮されていない。

これを要するに、控訴人に対する本件視力検査は最近定められた視力検査基準に照らしても、検査器具および検査方法ともに不適当なもので、その結果控訴人の視力が不当に不利益に判定されたことが明らかである。

わが国においては従来訴外株式会社半田屋商店の販売する各種試視力表に万国式なる名称が例外なく記載され、広く国内で使用されてきたのであり、このような経緯にかんがみるときは、右半田屋商店の販売する試視力表こそ道路交通法施行規則第二三条にいう万国式試視力表に該当し、他にはない。そしてこれは前記検査基準の標準および准標準視力検査装置にあたることになる。昭和三九年一月八日医師河野宏之が控訴人に対して実施した視力検査は、右基準からみても妥当なものであり、その結果は信用に値するというべきである。

二  本件視力検査に基づく却下処分は憲法第一四条の規定する法の下の平等に違反する。

すなわち本件視力検査に使用されたKYS式視力検査器は視力検査基準にいう標準視力検査装置に該当せず、自動車運転免許およびその更新の際の視力検査用としては不適当なものであることは前述したが、これの国内における分布状況を見ても、警察関係では現在わずかに一五警察本部(方面本部を含む)と一八警察署がこれを購入しているにすぎず、しかもそのすべてが運転免許およびその更新の際の視力検査に用いられているという証拠もない。そうだとすると、自動車運転免許とその更新の取扱いにつきごく一部の地域の受験者のみが不当に差別されることになるわけで、控訴人は他の大部分の地域における受験者に比して不完全でしかも受験者に不利益な結果の生ずる可能性のきわめて強い検査器具による受験を余儀なくされたのである。全国一律に施行されている道路交通法の適用上、かように地域によつて差別を生ずることはまさに憲法第一四条の規定する法の下の平等の原則に違反するといわなければならない。

三  被控訴人は、控訴人が本件適性検査の際に更新を受けようとする種類の免許については不合格であつても、それより下位の合格基準に達した免許を受ける意思を有していたから、道路交通法第一〇一条第二項を類推適用して格下げした免許証を交付したのであると主張するが、控訴人は右検査の前後を通じ格下げした異種の免許証の交付を求める意思を表明したことはないのみならず、免許証の更新はその性質上厳重な覊束行為で、前記法条は本来類推適用に親しまないものであり、控訴人としては従前の免許証の更新申請を拒否されたことに対しその違法を主張し、正当な法の適用を求める利益を保有するものである。

四  なお被控訴人は、控訴人が本件却下処分を不服として異議申立をしたのに対し、右処分は行政不服審査法第四条第一項但書第一一号にあたるとして異議申立を却下したが、免許証の更新については学識技能に関する試験または検定は行なわれないから右法条に該当しない。したがつて被控訴人が控訴人の異議申立を却下したのは違法である。

(被控訴人の主張)

KYS式視力検査器のような単一視標検査装置が視力検査基準において標準視力検査装置から外されて特殊視力検査装置に含ましめられたのは、その正確度が劣るからではなく単に実用面を考慮に入れた規格を定め難い点があつたからにすぎない。本件視力検査に使用したKYS式視力検査器は昭和三七年型でそのランドルト環視標の寸法は標準視力検査装置について許容される誤差の範囲内であり(控訴人主張の実験例はそれ以前の製品に関するものである)、そのほか同検査器の使用視標、視標面の光沢、照明関係等も全く標準視力検査装置の規格に適合しているから、これによる検査は標準視力検査装置による検査と同等であるということができる。

また鴻巣警察署における本件視力検査の方法についても、検査室の窓には常時カーテンが取り付けてあつて、視力検査のときは必ずこのカーテンをかけ、検査室の照度が視標照度を上廻らないようにし、かつ明順応も十分配慮して検査を行なつており、視力検査実施基準に照らし何ら不都合な点はない。

控訴人は、河野医師が控訴人に対して実施した視力検査が前記検査基準からみて妥当なものであると主張するが、右検査に使用された視力表は紙製のいわゆるポスター式視力表で、視標としてランドルト環視標のほか文字視標、数字視標が用いられているものであり、これが検査基準にいう標準視力検査装置ではなく准標準視力検査装置に該当することは明らかである。したがつてもし控訴人のいうように免許証更新の際に行なわれる視力検査は標準視力検査装置によらなければならないものとすると、河野医師の実施した検査こそ不適当なものであるといわなければならない。

(証拠関係)<省略>

理由

一  控訴人が昭和三八年一二月二〇日、さきに交付をうけていた大型自動車第二種運転免許証の有効期間が近く満了するので、道路交通法第一〇一条第一項、同法施行規則第二九条の規定に従い、鴻巣警察署を通じて被控訴人に対し右免許証の有効期間の更新を申請し、同警察署においてそのための適性検査を受けたところ、被控訴人は右警察署における四回にわたる視力検査の結果に基づき昭和三九年一月八日控訴人に対し、控訴人の視力が大型第二種免許の合格基準である「万国式試視力表により検査した視力が両眼で〇・八以上、かつ左右一眼でそれぞれ〇・五以上」に達しないとの理由で、右免許証の更新をしないで、普通第一種免許証を交付したことは当事者間に争いがない。

二  控訴人は、被控訴人が控訴人の右大型第二種免許証更新申請を拒否した処分の違法を主張するので、以上この点について判断する(被控訴人は、控訴人の申請どおりの更新をしないで、それより範囲の狭いいわば下位の普通第一種免許を与えたのを、道路交通法第一〇一条第二項後段の類推適用によるものであるとし、これに対し控訴人はそのような下位の免許証を第二次的にも求める意思を表明したことはなく、また右法条は本来かかる類推適用を許すものではないとしているが、本件では要するに申請にかかる大型第二種免許証の更新がなされなかつたことの適否が訴訟の対象となつているのであつて、これに代え前記法条の類推適用により下位の免許証を交付したこと自体の当否は本件で論ずべき限りでない)。

1  本件処分の前提をなす鴻巣警察署における控訴人に対する視力検査がいずれも同警察署員によりKYS式視力検査器を用いて実施されたものであることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一、三号証に原審における証人中島貞良、桜井金一郎の各証言をあわせると、本件視力検査は右警察署交通係巡査中島貞良、同桜井金一郎がそれぞれこれを担当し、いずれも被控訴人主張の日ごろ四回にわたりKYS式視力検査器を用いて被控訴人主張のような状況ないし経緯のもとに行なわれたのであるが、控訴人は左右各一眼ではそれぞれ、〇・五の視標を辛うじて識別しえたものの、両眼では〇・七にとどまり、〇・八の視標は四回の検査を通じ全く識別しえなかつたこと、そこで右桜井巡査は昭和三九年一月八日控訴人に対し、大型第二種免許の視力合格基準に達しないのでその更新はできないが、視力およびその他の検査結果を綜合して普通第一種免許の適性は有すると認められるからこれに格下げして免許証を与えることは可能である旨を告げ、これに対し控訴人はこの日が更新期限の末日であてたため、更新の延期方を申し出たが容れられず、結局やむなく一応普通第一種免許に格下げされた免許証の交付を受けておくことにしたこと、以上の事実を認めることができる。原審における控訴本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲の各証拠に照らし信用することができない。

2  一方、原審における証人河野宏之の証言により真正に成立したものと認められる甲第五、七号証と右証言および控訴本人尋問の結果によると、控訴人は鴻巣警察署での視力検査の過程において視力の不足を指摘されたのでその頃鴻巣市内の医師河野宏之のもとで古くからの疾病である中心性網膜炎の治療を受け、昭和三九年一月八日同医師がポスター式試視力表を使用して行なつた視力検査では左右とも一眼でそれぞれ〇・六、両眼では〇・八の検査成績を得ていることが認められる。

3  ところで道路交通法第一〇一条によれば、免許証の更新については、更新申請者が有効期間満了前一ケ月の期間内に公安委員会の行なう適性検査を受験し、その結果運転に支障がないと認められることをその要件としているのであつて、かかる処分の性質にかんがみ、かつこの法規の構造からすれば、右適性検査の判定を争い更新申請却下を違法と主張する者は更新のための実体的要件である適性検査について定められた合格基準に達していることの立証責任を負うものと解すべきである。したがつてこれを本件についていうならば、控訴人は、鴻巣警察署での本件視力検査が違法な方法で行なわれたというだけでは足りず、その受検当時控訴人が「両眼で〇・八以上、かつ左右一眼でそれぞれ〇・五以上」の視力を備えていたこと、いいかえると本件視力検査は誤つた方法により控訴人の視力を誤認したもので、河野医師の実施した検査結果の方がより信頼に値することまで立証しなければならない(現時点において、本件処分当時の控訴人の視力を正確に鑑定できるならばそれが最も望ましいが乙第五号証によりこれは不可能と認められる)。

4  しかるところ、この点に関する控訴人の原審以来の主張(KYS式視力検査器使用の違法、医師法第一七条違反、その結果としての控訴人の視力誤認、精神障害の有無を検査せず過去の運転実績も斟酌しなかつたことの違法)に対する当裁判所の判断は、原判決理由の第三項(一)ないし(四)の記載と同じである(KYS式視力検査器使用の違法に関する主張に対する判断の証拠として、成立に争いのない乙第三号証と当審における証人大島祐之の証言を加える)からこれを引用し、さらに当審で新たに主張された点につきつぎのとおり判断を付加する。

成立に争いのない甲第一一、一二号証および証人大島祐之、大山信郎の各証言によれば、文部省科学研究費総合研究視力研究班が最近(本件処分の後)に至り控訴人主張のような内容の視力検査基準を決定したことが明らかであるところ、これによると、本件視力検査に用いられたKYS式視力検査器の如き単一視標検査装置は標準視力検査装置(視力の値の正確さを特に期したいという場合に用いるべきもの)ではなく特殊視力検査装置(標準および准標準視力検査装置以外のもの)に含ましめられているし、また右KYS式検査器のランドルト環視標の寸法が前記基準所定の標準視力検査装置に関する規格に厳密に適合しているかどうか、さらにこれを用いて控訴人に対し実施された本件視力検査の方法が控訴人の指摘する室内照度や明順応等の点において前記基準の定めた視力検査実施基準にそつたものであつたかどうかは、本件証拠上必ずしも明確とはいいがたい。しかしながら、前掲の各証拠によると、前記視力研究班が視力検査の問題をとりあげかかる視力検査基準を決定するに至つたのは、従来わが国では視力検査は一九〇九年の国際眼科学会の視標に関する決定および一九三九年の日本眼科医会の照度に関する建議に準拠していたけれども、年月を経て今日これが的確に実施されない点を改め補い、実状に即した新しい検査基準を設定することが識者の間で要望されていたからであつて、近く日本眼科学会評議員会の議を経ることが予定されていると認められるのであり、ここで正式に採択された暁においては、将来この基準が権威あるものとして広く普及し、あらゆる視力検査がこれに準拠して行なわれるようになるのが望ましいとしても、検査器具検定の制度すらない現段階においてはこれは未だ専門家グループの学問的立場からの一提案であるにとどまるものというべく、控訴人に対する本件視力検査がかりに控訴人の指摘する諸点において前記基準に厳密にはそつていない面があつたと仮定しても、従前から存する前述の視標および照度に関する標準からは外れておらず、かつ著しく理に反した方法がとられたものでもない以上、時を変え場所を変え前後四回にわたり丹念に行なわれた検査の結果を誤りということはできない。控訴人はとくに本件検査の使用器具がKYS式視力検査器という単一視標検査装置であつたことを最も不満としこの点を強く攻撃しているが、自動車運転免許およびその更新のさいの視力検査にはどの種の視力検査装置を用いなければならないがというようなことは右検査基準自体何ら触れていないのみならず、前顕の各証拠によると、右検査基準において単一視標検査装置が標準視力検査装置ではなく特殊視力検査装置に属するものとされたのは実用面を考慮に入れた規格を定め難い点があつたからで正確度において劣るというわけではなく、むしろ本件検査に用いられたKYS式視力検査器は視標としてランドルト環のみを使用している(単一のランドルト環が任意に八方向に回転し、またその大きさも任意に変えられるしくみになつているから、露呈されている視標は単一でも実質的には各段階にそれぞれ八個の視標があるのと同一の機能を果している)点において、ランドルト環視標のほかに文字視標等を含むいわゆるポスター式試視力表よりも、一九〇九年の国際眼科学会の決定の線に忠実であることはもちろん、前記視力検査基準の定めた標準視力検査装置の規格にも近いともいうことができるのである。

一方、河野医師の行なつた視力検査は同人の証言から明らかなように文字視標を含むポスター式試視力表によつたもので、その回数方法等の点においても鴻巣警察署での本件視力検査ほどに綿密であつたとは認められないしなおこの二つの検査の間には一〇日余の隔りがあるが、証人大島祐之の証言によると、この程度の期間で視力の値が増減することは絶無とはいえないまでもきわめて特殊の場合にしかありえないと認められるのであつて、結局河野医師の実施した視力検査が鴻巣警察署での本件視力検査を上廻る正確さを有するものとは解しがたく、にわかにこれを信用することはできない(ただここで付言するに、現在の制度では適性検査の受験者が担当警察官の判定に異議をとなえたときあらためて公安委員会から速やかに専門医に対し検査を委嘱するといつたような途も開かれていないため、処分後に受験者が右の判定を争い処分の是正を求めることは事実上かなり困難で、受験者に難きを強い酷な結果となることも考えられるが、この点は将来の立法あるいは行政措置の上で考慮されることになれば格別、現状ではやむをえないといわざるをえない)。

5  控訴人は一部の地域の受験者のみがKYS式視力検査器による受験を強いられることは不当な差別待遇で憲法第一四条に違反すると主張するが、前述のようにKYS式視力検査器は国際的に承認されているランドルト環視標のみを用い文字視標等を併用していない点ではポスター式試視力表よりも万国式試視力表本来の条件にかなつているのみならず、KYS式視力検査器による検査結果がポスター式試視力表によるそれと比較して受験者にとつて不利であるという証拠もない(もし両者の検査結果に差異を生ずるとすれば、それはポスター式試視力表には標準視標でない文字視標があるため正確な値が得られなかつたことによるものと見なければならない)。したがつて不合理な差別待遇であるという控訴人の主張はあたらない。

6  以上要するに、本件視力検査には控訴人の主張するような違法はなく、右の検査の結果が誤りで控訴人が大型第二種免許について要求される視力を有したことを認めるに足りる証拠はないから、被控訴人が控訴人の更新申請を却下したのは適法であつたといわなければならない。

三  なお控訴人は、被控訴人が控訴人の異議申立を却下した裁決の違法をも主張するが、本訴は更新申請却下処分取消の訴であり、異議申立却下の裁決に固有の違法事由をここで主張することは許されないから、右主張は採用のかぎりでない。

四  よつて控訴人の本訴請求は失当として棄却すべく、これと同旨の原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 浅賀栄 藤井正雄)

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